今日と明日は吉田神社の門前に出店並んでとても賑やかになります。
AIで調べてみると、
京都市左京区に位置する吉田神社の節分祭は、京都でも最大規模を誇る節分行事です。2026年は2月2日(月)から4日(水)にかけて開催されます。
古くから「平安京の鬼門封じ」としての役割を担ってきた神社であり、非常に活気があるのが特徴です。
2026年(令和8年)の主なスケジュール
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2月2日(月)前日祭
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疫神祭(えんじきさい): 8:00〜(前日祭終了後)。一年の無病息災を祈る独特の神事です。
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追儺式(ついなしき / 鬼やらい): 18:00〜。盾と矛を持った「方相氏(ほうそうし)」が、赤・青・黄の3匹の鬼を退散させる平安時代からの古式豊かな儀式です。
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2月3日(火)当日祭
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火炉祭(かろさい): 23:00〜。境内に積み上げられた古いお札やお守りをお焚き上げする、節分祭のクライマックスです。夜空を焦がす巨大な火柱は圧巻です。
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2月4日(水)後日祭
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9:30〜。祭典が行われ、3日間の行事が締めくくられます。
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見どころと楽しみ方
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約800店の露店(2日・3日のみ): 参道には全国から集まった約800もの屋台が立ち並びます。3日の夜は「火炉祭」に合わせて深夜まで営業する店が多いのが特徴ですが、大変な混雑が予想されます。
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抽選券付きの「福豆」: 1袋300円で授与される福豆には、豪華景品が当たる抽選券が付いています。毎年、自動車や旅行券などが当たることで有名です。
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大元宮(だいげんぐう)の特別参拝: 節分祭の3日間限定で、通常は非公開の「大元宮」の内院に特別参拝することができます。ここには全国の神々が祀られており、一度にお参りすることで全国の神社を参拝したのと同じご利益があると言われています。
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6年ぶりに復活する「年越しそば」: 今年は限定3,000食で「年越しそば」が復活する予定です。
吉田神社の節分祭の起源は、**室町時代の中期(15世紀後半)**にまで遡ります。
単なる年中行事ではなく、当時の宗教的な改革や、都の守護という重要な役割が背景にあります。
1. 吉田神道(唯一神道)の確立
この節分祭を形作ったのは、室町時代の神道家、**吉田兼倶(よしだ かねとも)**です。 彼は「吉田神道」という新しい神道の教義を確立し、その本拠地として吉田神社に「斎場所大元宮(さいばしょだいげんぐう)」を建立しました。この大元宮が完成した際、全国の神々を招き入れる儀式として節分祭が重要視されるようになりました。
2. 「鬼門封じ」としての役割
吉田神社は平安京の**表鬼門(東北)**に位置しており、都に侵入しようとする災い(邪気=鬼)を食い止める「鬼門封じ」の拠点とされてきました。 そのため、季節の変わり目である節分に、国全体の邪気を追い払う国家規模の儀式としての性格を帯びていきました。
3. 平安時代の宮中行事「追儺(ついな)」の継承
2日の夜に行われる「追儺式(鬼やらい)」のルーツは、さらに古く平安時代の初期にあります。 もともとは宮中で大晦日の夜に行われていた「追儺」という魔除けの儀式でしたが、時代とともに簡略化されたり途絶えたりしていました。吉田神社は、この平安時代の古式を忠実に再現し、現在まで守り続けている数少ない場所の一つです。
4. 火炉祭の由来
3日の夜の「火炉祭(かろさい)」は、もともとは参拝者が持ち寄った古い「納札」を燃やす実用的な意味もありましたが、吉田神道においては「火の力で邪気を浄化し、春を迎える」という神学的な意味が込められています。
当院に来られている患者さんも多くの方が吉田神社の祭りに関わってられます。地元の協力があってこそ成り立つものと思います。500年以上続いているのはすごいことですね。豆知識:なぜ「抽選券付きの豆」があるのか? 起源とは少し異なりますが、現在のような大規模な「福引」の形になったのは戦後のことです。戦後の混乱期に人々に楽しみを提供し、神社への参拝を促すために始まったとされています。
大雪
昨日より降り始めた雪は今朝ほどには止んだが、京都市内の道路はアイスバーンのようになってしまい、人も車もゆっくりしか移動できない状況となっています。交通機関も乱れ、市バスは大幅な遅れが生じているようです。雪に慣れていないので歩くのも苦労します。雪が降ると転倒して来院される方がおられます。くれぐれも転けないように気をつけてください。今日は不要不急のお出かけは控えるようにしましょう。